「舞いあがれ 東大阪」メッセージ


MAIAGARE
HIGASHIOSAKA
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中井 由榮さん
一般社団法人
河内木綿はたおり工房 代表
河内木綿の伝統工芸の再生を目指している、代表の中井由榮(なかい よしえ)さん。
「舞いあがれ 東大阪」メッセージ
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中井 由榮さん
一般社団法人
河内木綿はたおり工房 代表
河内木綿の伝統工芸の再生を目指している、代表の中井由榮(なかい よしえ)さん。
今では住宅地と工場が土地の大半を占めている東大阪だが、かつては綿花畑が広がっていたという。河内で綿花の栽培が広がったのは安土桃山時代。以降、木綿は盛んに栽培され、河内の女性は「木綿が織れて一人前」といわれたとか。しかし、明治時代になると外国から安い糸が輸入され、機械で紡ぐことができなかった河内木綿はだんだんと規模を縮小していった歴史がある。
その綿花栽培を、現代に復活・継承しようと取り組んでいるのが、「河内木綿 はたおり工房」だ。代表の中井由榮さんが河内木綿に出会ったのは、地元の伝統文化を紹介するイベント「大和川付替え300周年」だった。元々伝統文化に興味があった中井さん。「自分が住んでいる地域で、昔は綿花を育てていたんだと驚きました」。そこで綿の種を入手し育てていくうちに、その魅力に惹かれ、「これは継承していかなければ」と使命感を抱き、河内木綿の再生のための団体「河内木綿コットン・クラブ」を立ち上げた。
以前の工房が手狭になり、石切劔箭神社の参道にある古民家へ移転してきたのは2015年。「河内木綿 はたおり工房」として再スタートを切った。ここでも、綿の栽培や糸紡ぎ、草木染め、機織り(はたおり)を実演することで、河内木綿を現代の人々に知ってもらうという当初からの活動スタイルは変わらない。
「河内木綿は素朴で丈夫。そのため、前掛けや法被の生地として好まれていました。厚みがあって重いのですが保温性もあり、昔は関西から東北地方へ北前船でたくさん運ばれていたんですよ」と中井さん。
各部屋に置かれている紡織用の民具は今も活躍しており、工房ではいつもスタッフの誰かが綿繰りや糸紡ぎ、機織りなどを行っている。営業時間内であれば見学は自由で、綿を糸にしていく糸紡ぎ(700円)や卓上機織り機でのコースターの作成(700円)などの体験も予約なしで行える。本格的に河内木綿の機織りを実践してみたい人には、5日間で糸から1枚の布を織るまでの機織り講座を用意(要事前予約。15,000円。布代は別途)。
河内木綿を使ったオリジナル雑貨もあり、ペンケースや小物入れ、ピンクッション、ミニバッグなどがお土産として人気だとか。
はたおり工房で手掛けた河内木綿の大作が見られるのが、「東大阪市文化創造館」(八戸ノ里)の大ホール。織りは当工房、藍染めは徳島県藍住町の作家、染色型を起こしたのは三重県白子町の型紙師と、三者で合作した美しい唐草模様のタペストリー「河内木綿ウォール」が飾られている。
実はタペストリーの文様は、古い家から集まった反物のハギレ(大阪商業大学 所蔵)を参考にしたもの。「このタペストリーのように、昔よく使われていた文様も再現していきたいと思っています。河内木綿といえば粗めの縞模様ですが、今となっては資料も少なく調べることは大変です。それでも、とことん本物を伝えていきたいですね」。中井さんたちの熱い思いのおかげで、河内木綿の再生と継承の道には光がさしている。
DATA
かつて根付いていた河内木綿の復活と
継承こそが私の使命