「舞いあがれ 東大阪」メッセージ
MAIAGARE
HIGASHIOSAKA
MESSAGE
MAIAGARE
HIGASHIOSAKA
MESSAGE
木積 康弘さん
石切劔箭神社 宮司
「舞いあがれ 東大阪」メッセージ
MAIAGARE
HIGASHIOSAKA
MESSAGE
MAIAGARE
HIGASHIOSAKA
MESSAGE
木積 康弘さん
石切劔箭神社 宮司
生駒山の麓にある石切劔箭神社(いしきりつるぎやじんじゃ)。
境内では、真夏の暑い季節も、真冬で雪がちらつく季節も、鳥居前の百度石から本殿前の百度石へ向かい、お百度ひもを繰って祈りをささげる参拝者が絶えることはない。
そんな「お百度参り」が全国的にも有名な石切劔箭神社の創建は、初代神武天皇2年(紀元前659年)と古く、「饒速日尊(にぎはやひのみこと)」と、その御子である「可美真手命(うましまでのみこと)」の二柱を御祭神としている。
社号である「石切劔箭」とは、御神威が岩をも切り裂くほど大きく鋭いことに由来しており、その威によって「でんぼ」(関西弁で腫れ物を意味する)を治すことができると、古くから信仰を集めてきた。
現在も「でんぼの神さん」「石切さん」と親しみを込めた愛称で呼ばれ、関西一円はもとより、全国から健康や病気治癒を願う参拝者が多く訪れている。
第107代宮司・木積康弘さんは、「お百度参りは、こういう風にしなさいと誰かが決めたわけではなく、まるで草木が芽吹くように自然発生的に神様への気持ちから、今に伝わる形となっていきました。 真摯な祈りをささげる皆さまの熱心さも、当神社全体の雰囲気をつくり出しているように思います。本殿で奉仕している我々神職にとっても、篤い思いを感じて日々身が引き締まる思いですね」と語る。
さらに木積宮司は「当神社の御祭神である饒速日尊は、“モノづくりのまち”東大阪と非常に関係が深いんです」と話す。
代々、祭祀は木積家が務めているが、この木積姓は饒速日尊の子孫にあたる物部(もののべ)氏の一族である「穂積(ほづみ)」から転じたものだ。
「鎮魂を通じて、病気を治癒する霊威を示す『物の気』としての『物』。そして、当時の先端の技術を使った武器や祭具の製造も司っていた『物づくり』としての『物』。物部氏は、その2つを司っていました。それは、単に物をつくるだけではなく、そのつくり出した物に魂を込めるという日本人の物づくりの源流でもあり、“モノづくりのまち”東大阪の源流ともなっていることに、神様のご縁を感じます」。
東大阪に根付き、多くの人々の心のよりどころとなっている石切劔箭神社。自分自身や大切な人の健康を願って祈りをささげた後は、石切駅まで続く参道をぶらぶらと歩くのも醍醐味。
飲食店や占いなど、たくさんの店が軒を連ねているレトロな風情を楽しんでみては。
DATA
『物』に作り手の心を込める
“モノづくりのまち”東大阪の源流がここに