「舞いあがれ 東大阪」メッセージ


MAIAGARE
HIGASHIOSAKA
MESSAGE
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川中 知子さん
今米緑地保全会
代表
東大阪の歴史や観光ガイドへのプロジェクトに携わる川中 知子(かわなか もとこ)さん。
「舞いあがれ 東大阪」メッセージ
MAIAGARE
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川中 知子さん
今米緑地保全会
代表
東大阪の歴史や観光ガイドへのプロジェクトに携わる川中 知子(かわなか もとこ)さん。
住宅と工場が連なる地域の真ん中に、イキイキと緑が広がる空間がある。
ここは、大和川の付け替え(川の流れを変える工事)に尽力した今米村(現在の東大阪市今米1丁目)の庄屋、中甚兵衛ゆかりの家だ。全国的にも珍しい雑木屋敷林は、大阪府下で初めて都市緑地保全法に基づいた「今米特別緑地保全地区」に指定されている。国の登録有形文化財でもあるこの邸宅に住み、保全に努めているのが、中甚兵衛の子孫である川中 知子さん。
ムクノキやアラカシ、クスノキ、イヌマキ、クロガネモチなど、さまざまな木々が育つ屋敷林。こうした植生を維持するために、枝打ちをはじめ、古竹の伐採整理や生垣下の除草、環濠の管理といった多岐にわたる活動が、川中さんとボランティアの手によって行われている。
「多くのボランティアの皆さんのおかげで、この屋敷林は守られ続けてきました。『貴重な文化遺産を残していきたい』という思いから、遠方からも来てくださいます。東大阪はモノづくりのまちとして注目されがちですが、こうした人々の思いも貴重な財産だと思うんです」と川中さん。
先に説明したように、この建物は中甚兵衛ゆかりの家であり、その中甚兵衛が尽力したのが、元禄16(1703)年に行われた大和川の付替えだ。
当時の大和川は、奈良県から大阪府に入ったあたりで枝分かれして淀川に流れていたという。「東大阪周辺は、まわりの家よりも川底が高い天井川となっていたため、何度も洪水に見舞われていたそうです。そこで中甚兵衛が中心となり、幕府に請願したことから付替えがはじまりました」。
付替え後は多くの田畑が開発され、特に東大阪一帯は河内木綿の産地として栄える。大正3(1914)年、大阪電気軌道(現・近鉄奈良線)の開通で交通の利便性も高まり、金属加工や軽工業を中心とする、モノづくりのまちへと発展してきたのだ。
川中さんは中甚兵衛が取り組んできたことを広く知ってもらうため、屋敷林を自由に散策できるよう一般開放したり、ワークショップや音楽イベントを通じ、東大阪の歴史や文化を伝えている。「落語やジャズのイベント、タケノコ狩りを開催するのも、この場を活用してもらうことで文化遺産の存在や、その背景を知ってもらえるから。モノづくりのまちとしての魅力発信はもちろん素敵なこと。ただ、そのきっかけとなった大和川の付け替えという歴史や、そこから発展してきた文化にも注目してほしいんです」と話す。
イベントの企画だけでなく、四季折々の美しさを見せる自然の魅力をもっと知ってほしいと、木々に二次元コードを設置し、それぞれの詳細が分かるような仕かけも施している。「文化遺産をそのままの形で維持し続けることも大切ですが、時代に合わせて発信していくことも大事。東大阪に残る屋敷林だから伝えられることを、さまざまなカタチで伝えていきたいと思っています」。
熱い思いを胸に、川中さんの挑戦はこれからも続いていく。
DATA
モノづくりのまちの原点がここに!
緑あふれる地から歴史や文化を発信